▽キュウソネコカミ
ヤマサキ セイヤ(ボーカル・ギター)=写真左、オカザワ カズマ(ギター)、カワクボ タクロウ(ベース)、ヨコタ シンノスケ(キーボード・ボーカル)=同右、ソゴウ タイスケ(ドラム)から成る5人組ロックバンド。2009年12月、関西学院大学の軽音学部員らで結成。14年6月、「チェンジ ザ ワールド」でメジャーデビュー。関西を拠点に活動を続けている。18年4月に5枚目のシングル「越えていけ/The band」をリリース。
身近な世界を風刺した歌詞と激しいライブパフォーマンスで人気の「キュウソネコカミ」。メンバーはいずれも関西学院大学軽音部出身で現在も関西に住み、あえて関西にこだわって活動を続けている。軽音部では日の当たる道を歩んだわけでもなく、就活でも取り残された。「まだまだ勝った気にはなれない」とどん欲さを失わないメンバーが後輩に送りたいメッセージとは。
ヤマサキ セイヤさん
ヤマサキ 高校ではテストのたびに教科ごとのベスト3が発表されてたんです。目立つことが好きだった僕はそこで1位を取ることに快感を覚えました。そのために必死に勉強していたら指定校推薦で関学に行ける枠があるぞと先生に教えてもらって。
ヨコタ 高3の夏にオープンキャンパスを回った中で関学のきれいな雰囲気にひかれました。調べてみるとAO入試で行く方法があることを知って、受けたら運よく合格できました。
ヨコタ シンノスケさん
ヨコタ 小さい頃からピアノを習い、高校でギターも覚えました。その特技が生かせることがうれしくて入り浸っていました。
ヤマサキ 入学して今度は何をやって目立とうかと思い、軽音部に入りました。ただ、関学の軽音部ってジャズのビッグバンドを出すような本格的な部活で、うまいやつにはとても追いつけませんでした。皆と違うところで勝負しようと、歌詞やステージ上の動きで勝つぞと。当時から客席にダイブしてました。
ヤマサキ ちゃんと単位は取ってました。何百人も入る大教室でどんな学生がいるのか人間観察するのも楽しかった。
ヨコタ 僕はほとんど勉強しませんでした。ただ法社会学のゼミは面白かった。なぜその法律ができたのか、今の社会と照らし合わせて正しいのかを疑うみたいなことを議論していて。そういうものの考え方は音楽作りにも生かされています。
ヤマサキ ほんとムリでした。しゃべってその人の何がわかるんだと思っていて、それが態度に表れるから当然、落ちますよね。内定ゼロ。親に25歳まで音楽続けさせてほしいと頼んで許しをもらいました。
ヨコタ ちょうど僕らの頃ってめっちゃ氷河期だったんです。就職するイメージがわかなかった。留年も決まっていたし、バンドやりながらでもなんとか生きていけるんちゃうかなと。
ヤマサキ 就活の時に皆、音楽から離れていくんですけど、おれたちはそうじゃないところでとことん勝負しようと。それで就職が決まってない仲間を含めた5人で結成したのがキュウソネコカミです。
ヤマサキ うらやましいとか、悔しいとか、変と思う気持ちを歌詞にしています。歌詞ではいろんなことディスってますが、どうしたら売れるか、研究は熱心に続けています。自分たちの好きな音楽を突き詰めるだけでは生きていけませんから。
ヨコタ ライブは派手だけど終わると反省会やったり実はまじめなんです。タイアップでこういう曲作ってほしいと言われればすぐにレスポンスしますし。何でもできる、だれからも好かれるバンドを目指しています。
ヤマサキ 大学生の時の感覚をいつまでも忘れずにいたいというのもあります。東京でいい家に住んで芸能人と遊んでっていうような生活するよりもこっちで成功したいから。いつまでもがつがつしていたいですね。
ヨコタ 軽音部でも非主流だったし、歌で関学のこともきつく言ってたので嫌われていると思っていました。だから2年前に関学の学祭に呼んでもらった時はもうこれでバンドやめてもいいってくらいうれしかった。関西にいるからこそ、東京で売れているやつらをこうはなりたくねぇとディスれる。そのスタンスは失いたくないですね。
ヤマサキ 好きな音楽の世界で僕らはたまたまメジャーまでたどり着いたけれど、それは奇跡に近いこと。同じようにやってみてとは言えない。ただ反省も込めて言うと、何でも首を突っ込んでおくこと。恥ずかしいという感情だけでやらないのはもったいないし、自分1人で生きようとすることはない。世の中助けてくれる人ばかりなので。
ヨコタ まずはやってみること。だれもユーチューバーがこんなにはやるとは思っていなかったんだから。あとは思い立ったらすぐにやること。やってから考えたらいい。結果が想像できることなんてつまらないから。