▽ありま・はやと
1977年、広島県出身。大阪府立箕面高校でアメフトを始め、関西学院大学では2度の学生日本一に貢献した。卒業後、TBSにアナウンサーとして入社。2004年に退職し、社会人リーグの選手として本格復帰。12年シーズンで引退した。現在はフリーアナウンサーとしてbayfm「AWAKE」などに出演中。
関西学院大時代、アメリカンフットボールの司令塔クオーターバックとして、チームを頂点へ導いた有馬隼人さん。大学を卒業後、アナウンサーとして活躍していたTBSを退社し、再び選手に本格復帰。現在もチームの指揮官とフリーアナウンサーの活動を両立し、充実した日々を送る。後悔のない生き方を貫いてきた有馬さんに、大学選びについてアドバイスをもらった。
勉強は嫌いじゃなかったので、初めは国立も狙っていました。アメフト部のある神戸大に行きたいなと。関学大に、という気持ちが大きくなっていったのには理由があります。最も歴史的に強いチームなんですけど、ちょうど僕が高校生のころは関西学生リーグで立命館大学や京都大学に勝てず、「関学は二度と(学生王者を決める)甲子園ボウルに行けない」と言われていた。「関学は終わった」と言われていたんです。
高校時代、1年に1回勝てるかどうかの公立高で、私立の強豪を次々に倒して関西2位までいった。その経験もあり、勝てないチームを勝てるように持っていくことに興味がありました。関学大で京大、立命大を倒すことに魅力を感じ、受験を決めました。
アメリカンフットボールの大学王者を決する、1999年の甲子園ボウルを制覇した関西学院大学ファイターズ
当時はまだ西宮スタジアムがあり、リーグ戦でも何万という観客が入っていました。1年生の春から出番が回ってきて、フィールドに入ってスタンドを見上げた時のことは忘れられません。高校の仲間や大学の新しい友達が見に来てくれていて、ブラスバンドが定番の曲を流し始めて…。身震いがして、涙が出ました。重圧もあったんだと思います。18歳ですからね。
4年生の時に学生王者になれましたが、お世話になった先輩たちの代で勝つことができなくて。今でも冗談で言われます。「おまえ、4年の時は頑張ったな」って。1年生から試合に出ていた分、基礎練習がおろそかになったつけが、2、3年生の時に回ってきた。監督は「気持ちやで」って言ってましたけど、決してそうじゃなかったはずです(笑)。
子どものころからテレビやラジオ、新聞に触れる機会がすごく多かったんですよね。情報が好きなんだと思います。スポーツを盛り上げる役目ができると思い、アナウンサーの採用試験を受けました。
仕事は本当に楽しかった。あらゆるスポーツの取材や中継、ニュース報道も。テレビとラジオの両方でいろんな番組に携わりました。情報番組を担当したり、「有線大賞」の司会をさせてもらったり。一方で、限界まで頑張っているアスリートたちに接する機会も多かった。僕自身は大学でやりきったつもりだったんですけど、もっとうまくなれるんじゃないか、もっと強くなれるんじゃないかという気持ちが常に燃えていた。当時25歳くらい。「やれるとしたら今だ」と。会社に迷惑をかけるのも嫌なので、すぐに辞めたんです。
日本のトップリーグ「Xリーグ」はプロリーグじゃないので、みんな仕事をしているんですよね。僕が所属しているのはクラブチームなので、会社員や銀行員もいれば、学校の先生もいる。このチームではみんな報酬ゼロ。僕も同じです。逆にそこに、すごく魅力を感じています。報酬がなくても、選手とスタッフ、合わせて総勢100人。自分のプライベートの時間を持ち寄ってチームをつくっているんです。相手が富士通やパナソニックのような実業団チームになると、彼らは社員。コーチもほぼプロです。そういうチームに勝ったら「すてきやん」と。思いだけでつながっている。
アメフトでは「ケミストリー」という言葉をよく使います。いろいろな思いが結集した時、1+1が2じゃなく、とてつもなく大きな数字になる瞬間がある。簡単に探すことはできないけど、思い続けることで、どこかでケミストリーが起こる。チームが爆発的に強くなる。僕は高校の時に大ケミストリーを経験した。アメフトの一番の魅力ですね。
まず、大学の名前にはこだわらないでほしい。現実的な話をすると、昔ほど大学の名前で就職が決まるということはありませんし。
僕の場合はアメフトで、3番手以下に落ちていた関学大で勝ちたいというのが、きっかけでした。学びたい先生がいるとか、学びたい学科があるとか。設備でもいい。行きたい理由を探して大学を選ぶのがいいと思います。そのためには、情報収集が大事ですね。
僕も中学や高校のころは、大学選びで人生が大きく変わるんだろうなって思っていました。そういう一面があるのは確かです。でも、そこに行って出会う人や経験することは、どこに行ってもありえる。たくさんのドアのうちの一つを開けた、というぐらいの感覚ですかね。
振り返った時、自分が選んだ理由が明確であればいいと思います。思い通りにいかなかったり、苦しんだりすることは人生の中で絶対にある。その時に、自分が納得して選んだ道なら後悔もしないし、学びになるはずです。