タレント 武井壮さん(神戸学院大学法学部 中央学院大学商学部卒業)

人生輝かせる「宝石箱」

▽たけい・そう
1973年、東京都出身。神戸学院大学法学部、中央学院大学商学部卒業。陸上・十種競技日本チャンピオンにして、格闘技、野球、ゴルフなど、さまざまなスポーツの経験を持ち、その後芸能界へ。あらゆる動物と戦って勝つシミュレーションをし、「百獣の王」を名乗る。現在、テレビやラジオなどのメディア出演を中心に活躍しつつ、マスターズ陸上の世界大会に出場し、今なお日々成長を続ける。2020年2月、元日本代表・本田圭佑選手のつくったサッカーチーム「ONE TOKYO」の監督に就任、活動中。

自身で確立した身体理論を基に47歳になる今もあらゆるスポーツで才能を発揮し続けるタレントの武井壮さん。後に日本チャンピオンとなる十種競技に出合ったのは神戸学院大学に入学してからだった。「大学は人生を輝かせる宝石箱のような場所」と語る武井さんから大学時代の過ごし方についてメッセージをもらった。

陸上競技で日本一に挑戦 知識や経験得て成長へ

―陸上競技との出合いは。

1997年、台湾で開かれた国際陸上大会での武井壮さん(中央) 1997年、台湾で開かれた国際陸上大会での武井壮さん(中央) 大学に進学する際に、新しい経験がしたくて、東京を離れて新たなスポーツに挑戦し、日本一になりたいと考えていました。住んでみたい町と名前の語感で選んだのが神戸学院大学です。陸上部の友人が入学時の僕の体力テストの記録に驚いて入部を誘ってくれたのがきっかけで見学に行き、後に200メートルで日本チャンピオンになる先輩がいて切磋琢磨(せっさたくま)できる環境があることにひかれました。
9月のデビュー戦で100メートル10秒9を出し、神戸新聞に取り上げていただいて、スポーツで初めて世の中に自分のことを知ってもらえた喜びで、本気で打ち込むようになりました。練習メニューは自分で考え、トップ選手の映像などを見て、物理的な観点から、有効なエネルギーの使い方はこうあるべき、という仮説を立てて、それに基づいてトレーニングをしていました。

―その後、十種競技に転向。

2年生の時に国体の兵庫県代表に選ばれたのですが、その大会の宿舎で同部屋だったのが朝原宣治さん(北京五輪・陸上男子400メートルリレー銀メダリスト)です。目の前で100メートル10秒19を出し、当時の日本記録を塗り替えました。僕の記録が当時10秒82だったので、朝原さんの記録に卒業までの2年で追いつくのは難しいと考え、100メートルはこの男に任せることにしました(笑)。
ならばどの種目で日本一を目指すかを考え、自分の磨いてきた能力の適性に最も合う、と選んだのが十種競技です。2試合目の近畿選手権前に、それまでやったことのない棒高跳びを1日だけ練習して大会に臨み、自己ベストを大幅に更新して優勝しました。これならあと2年で日本一が取れそうだなと思い、本格的に練習を始めたのがこの頃です。

―勉強のほうは。

2神戸学院大学時代の武井壮さん(奥)。隣は朝原宣治さん 神戸学院大学時代の武井壮さん(奥)。隣は朝原宣治さん 遠征や合宿が多かったので、授業をすべて受講することはできませんでした。そこで、学年の初めに購入した教科書を1カ月ですべて読み切ってリポートを出すようにしてテストに備えつつトレーニングをし、単位はほとんど落とすことはありませんでした。法学部以外の授業でも自分の将来に役立ちそうな科目を見つけて勝手に受講したりもして、大学では本当にたくさんの知識を手に入れることができたと思います。将来は芸能界に進むことも視野に入れていたので知的所有権が専門のゼミを選び、他に肖像権なども学んでいたことは今も大きく役立っています。
中学、高校時代は家庭の事情もあって余裕がなかったので、学費免除になる特待生を目指して勉強し、6年間学費を払わずに学ぶことができました。必死に手に入れた高校卒業でしたから、大学では一切無駄な時間を過ごしたくありませんでした。僕のような状況でなかったとしても、ご両親が自分たちの未来のために働いてためたお金を使って学ばせてくれているのだという気持ちを忘れないでほしいと思います。
中型のバイクに乗ってきれいな神戸の街を縦横無尽に走り回ったのもいい思い出です。

―3年生が終わるころ、阪神・淡路大震災に遭遇。

住んでいた家は壊れ、ガスや水が止まり、大学も休校を余儀無くされてしまって。ちょうど十種競技の練習を本格的に始めようと思っていた頃だったので、1週間ほどボランティアをした後、練習場所を求めてバイクで東京に向かいました。
半年して神戸に戻った時、「がんばろう神戸」というスローガンとともに信じられないようなスピードで街が復興していく姿に胸を打たれました。自分も兵庫県代表の選手として日本一を取る姿を神戸の人に見せたいと思い、競技に全力で向き合うことができました。自分でも驚くほど記録が伸び、ドイツの大会では当時の関西学生新記録を更新して優勝することもできました。それが当時、全日本の十種競技のヘッドコーチを務めていた先生の目に留まり、卒業後に編入した中央学院大学時代に日本選手権やグランプリ、日本インカレで優勝することができました。
たまたま選んだ大学で、奇跡的なことが起き、いろんな出会いがあって、震災も経て日本一になる道筋が開けた、その後の人生の新しい扉を開ける力をもらうことができた神戸の4年間でした。

―大学を目指す人にメッセージを。

武井さんは東京からのリモート取材に応じてくれた 武井さんは東京からのリモート取材に応じてくれた 僕にとって大学は自分をキラキラと輝かせるための宝石箱のような場所でした。社会に出た後の人生を最高に充実したものにするための知識、技術、経験を得る場所として大学をフル活用してほしいと思います。
僕は、今も大学生の頃と考えていることは全く変わっていません。1日3時間、自分へのプレゼントの時間を設け、芸能界でだれにも負けない体力を保つためのトレーニング、ビリヤードやピアノなど自分がまだ身に付けていない技術の習得、そして次に新しい仕事を得るための知識の習得に1時間ずつ充てています。こうして常に自分を成長させ続けることが、入れ替わりの激しい芸能界で生き残っていける秘訣(ひけつ)だと思っています。
僕にとっては、皆さんも含めて全員が今いるポジションを奪い合うライバルだと思っています。だから皆さんに負けないように自分を磨き続けていきますし、皆さんも「この野郎、武井壮に負けねえぞ」と思いながら学んで、鍛えて、いつか社会の大きな舞台でライバルとして出会いましょう!

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