お笑い芸人(関西学院大学卒業)
「銀シャリ」
橋本直さんに聞く

夢に向かって全力ポジティブ 全ての道のりは自分に返る

▽はしもと・なお
1980年、伊丹市生まれ。関西学院大学経済学部を卒業後、2002年に吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に25期生として入学。鰻和弘さんと05年「銀シャリ」を結成。08年のABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を受賞。10年にNHK上方漫才コンテストで優勝。16年のM―1グランプリで優勝。

昨年12月に開かれた「M―1グランプリ」で漫才の頂点を極めた銀シャリの橋本直さん。青いジャケットに身を包んだ正統派のしゃべくり漫才から繰り出される語彙(ごい)豊かなツッコミが真骨頂だ。関西学院大学(西宮市)での学生生活は漫然としたものだったが、周囲の学生から受けた刺激が「自分が勝てる道」、すなわちお笑いの世界を目指すきっかけになったそうで、「ふんわりしている人こそ大学へ行ったほうがいい」とアドバイスを送る。

夢諦めるために養成所へ 老若男女全員 笑わせたい

―M―1グランプリの優勝から半年が経過しました。

M―1が始まったのが大学4年生の時。すごい大会だなと思いました。年が明けて養成所(吉本総合芸能学院、NSC)に入った時の同期は900人もいました。M―1で優勝するなんて夢物語の世界でしたが、2015年に初めて決勝に進み、2位になって現実味が出てきた。そして優勝。でも決勝は薄氷の勝利で、まだまだ修業せえということなんやろなと思ってます。

―小さい頃からお笑い芸人を目指していた?

どちらかというと引っ込み思案で、シャイな子どもでした。中学は部活をしていましたが高校は帰宅部だったので、家では暇さえあればお笑い番組に浸ってました。オタクレベルです。録画もして、深夜まで見て。だから授業はいつも眠かったですね。

―大学は関学へ。

お笑いの道もちょっと頭をよぎりましたが、リスク大きいし、中学から関学だったのでそのまま上がれましたし…。大学生活も高校の延長線上で、サークルも入らず、夏休みに短期のバイトをするくらい。「青春」っぽいことはまったくなくて。

―いよいよお笑いの道を意識するようになった。

就活でエントリーシートに長所を書こうにも何も思い当たらない。じゃあ自分が他人に勝てることってなんやろと考えたら、お笑いくらいかなと。仮に就職したとしても「もしお笑いの世界に入ってたらどうなったやろ」と思う自分が想像できていややったんです。「挑戦したけどあかんかったし、今の仕事がんばろう」と思える事実が欲しかった。それで養成所の門をたたきました。お笑い芸人をあきらめるために入ったんです。

―お笑いの世界でやっていける手ごたえはあった?

全然。コンビ組んでは解散を7、8回くらい繰り返して。26歳までなんともならんかったら辞めようと思っていたんですが、笑い飯さんとか千鳥さんとかあこがれていた先輩に「おもろいやん」とか「あのネタええな」と言ってもらえると、この世界におってええんかなと思えるようになりました。いろんな人の近くにいて礼儀も心意気も含めて芸人にさせてもらいました。

―コントではなく漫才にこだわっている。

立ち話の延長線上です。昔は台本も一字一句書いていましたが今はそこまでしません。自分でも本番で何を言うかわからないくらい。場の空気を感じて、瞬間で思ったことを口に出したほうが破壊力がある。自分たちが楽しんでいるほうがお客さんにも伝わりますしね。

―M―1で頂点に立った今、変わったことは。

ファンタジーの世界やと思っていた芸人さんたちと一緒の楽屋で会話を聞けていることだけでもどえらいことやなと相方と話しています。今の悩みは4月から東京に拠点が移って関西のお笑い番組を見られなくなったこと。新しいお笑いに触れているとふと面白いアイデアが湧いてくるんです。

―高校生にメッセージを。

やりたいことがなくても大学に入ればおのずと周りに刺激を受けてあぶりだされてくるものです。関学の周りの友人はみなキラキラしてましたから。人生1回だけなんで後悔のないように。だって自分に嘘はつけないでしょう。

―これからの目標は。

どのコンビよりもお客さんの層がばらばらというのがいいですね。老若男女、小さい子どもにも愛されたい。いろんな人を笑かそうとすると茫洋(ぼうよう)な漫才になりがちなんですけど、それを覆すような最新鋭の漫才で全員を笑かせたい。それが理想です。だからこれからもお笑いを見続けます。

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